第10回 私達はリスクに囲まれて生きている

,

私は時々真夜中に目が覚めるとドライブに出かけることがあります。

ある真夜中、第二阪和国道で右折レーンで右折矢印信号を待っている時(直進だけが青状態)私の車の左側を大型トラックが猛スピードで通り過ぎて行きました。通り過ぎる瞬間、私の車は風圧を受けて揺れました。この大型トラックのこの時のスピードが果たして法定速度内だったかどうかは不明です。とにかく私は「凄いスピードやな!」とその時感じました。

おそらくどなたでも、意識する・意識しないは別として、同じような状況に割と頻繁に遭遇しているはずです。

もしもあの夜、大型トラックの運転手が居眠り運転をしてハンドルがわずかでも右に外れたら、私は追突されて即死していたかも知れません。もちろん確率はめちゃくちゃ低いとは思いますが。

確率がめちゃくちゃ低いとは言え、例えば大阪府では一日平均10名近い死者と200名前後の重傷者、2000名以上の負傷者(令和6年のデータ)が出ています。毎日ですよ!これらの人々は事故に遭う当日の朝に目覚めた時は、よもや自分がそのような目に遭うとは想像もしていなかったはずです。

このように少なくとも私達は、意識する・意識しないは別として、毎日リスクに囲まれて生活しているわけです。

もし「ゼロ・リスク」で生活したいなら、家から一歩も出ない生活を送るしかありません。でも心身が健康であるにも関わらず、コロナ禍でもないのに、そのように家に閉じこもる生活を選択する人はあまりいないわけです。

多くの人々のこの判断は賢明であると私は思います。自分の人生をもし「実り多く幸多きもの」として生きたいなら、確率的に充分低いならリスクを受け入れて(交通安全に充分気をつけつつ)外出もする。車も運転する。そのような行動は立派に合理的な行動であると私は思います。

このように日常生活ではちゃんと合理的にリスクを受け入れている同じ人々が、お金については病的なまでに(つまり著しく不合理に)リスクを嫌うさまは、私の目には本当に不思議に映ります。

断言します。世の中の極めて多くの割合の人々、大多数の人々が、お金についてだけは著しく不合理にリスクを避け過ぎています。その全くもって「困ったちゃん」的な態度は、その人々が本来受けられて当然であるはずの莫大な利益をその人々から奪い続けています。

お金についても、せめて日常生活で私達が受容している程度のリスクくらい受け入れましょう。それは、私達が人生の経済面を「実り多く幸多きもの」とするために、絶対に必要なことです。

(文: UEDA / 挿絵:αβγ)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP