第1回 確率論と因果律


なぜ多くの人々は、お金についてなかなか合理的な行動が取れない(たとえば投資できない)のでしょうか?その理由は、多くの人々が物事を「因果律で考える」ことを好む一方で「確率論で考える」ことを嫌うからです。しかし現実の世の中では、ほとんどの出来事は因果律的にではなく、確率論的に起こります。(多くの経済学者の未来予測がことごとく外れるのはこのせいです)この結果、世の中のほとんどの人々は、確率論で考えるべきテーマ(現実にはほとんどのテーマがそう)に対しても因果律的判断に固執するため、お金にまつわる思考と判断と行動が非合理的となりやすくなり、結果が悪くなりやすいのです。

優れた投資家は、この世の中の出来事のほとんどが確率論的に発生していることを(恐らく本能的に)知っています。だから彼ら彼女らは「確率的に期待値の高い行動」を取り続けることに全力を尽くします。この結果、彼ら彼女らのお金にまつわる思考と判断と行動の結果は(因果律的思考にこだわる人々より遥かに)良くなりやすいのです。

そして資本主義社会においては両者の差は極めて大きくなりやすい。因果律に固執する大多数の人々と、確率論で思考できる優れた投資家との(長い一生を通じての)経済格差(資産格差)は(両者の生涯年収がたとえ同じであったとしても)最低でも一桁、へたをすると二桁以上開く可能性があると私は思います。

確率論で考えられるという事は、未来の不確実性を受容できるという事でもあります。そして未来の不確実性を受容できることは、投資による資産形成を成功させる上で極めて重要なマインドセットです。

(文: UEDA / 挿絵:αβγ)


“第1回 確率論と因果律” への2件のフィードバック

  1. カトちゃんのアバター
    カトちゃん

    「”確率論で考えられる人と、因果律に固執する人の間で、一生を通じて資産格差が一桁、二桁開く可能性がある” という部分、とても考えさせられました。私自身、投資を始めた頃は因果律的に考えがちで、短期的な市場の動きに振り回されることが多かったのですが、確率論的な視点を持てるようになってから、投資のスタンスが大きく変わりました。未来の不確実性を受け入れることこそ、長期投資家にとっての最重要マインドセットですね。」

    1. okanetotoushinotetsugakuのアバター

      コメントありがとうございます!カトちゃんくらい飛び抜けて頭脳明晰かつ膨大な量の修行を積んでらっしゃる方は別だとも私は思っております。私が「因果律的思考への固執」を手放すことを勧めるのは、これで戦うには抜群の頭脳とセンスの良さに加えて、膨大な量の修行(=膨大な量の米国企業の決算書分析の経験)と実際の投資経験が必要だと思うからで、世の大多数を占める人々には難しかろうと思うからです。実際この記事を書いている時「カトちゃんには当てはまらないのだけどなあ」と思いながら書いておりました(笑)でもそのカトちゃんから肯定的なコメントをいただけて嬉しいです!ちなみに「一桁二桁の差」とは、株式投資と債券投資(あるいはノーリスク資産)を意識しました。因果律に固執すると究極的には債券投資(あるいはノーリスク資産)の比率が大きくならざるを得ないだろうと。「リスクを取る」=「確率論で考える」であり、「因果律にこだわる」=「リスクを取らない」になっちゃう傾向があるかなと。

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