なぜ多くの人々は、お金についてなかなか合理的な行動が取れない(たとえば投資できない)のでしょうか?その理由は、多くの人々が物事を「因果律で考える」ことを好む一方で「確率論で考える」ことを嫌うからです。しかし現実の世の中では、ほとんどの出来事は因果律的にではなく、確率論的に起こります。(多くの経済学者の未来予測がことごとく外れるのはこのせいです)この結果、世の中のほとんどの人々は、確率論で考えるべきテーマ(現実にはほとんどのテーマがそう)に対しても因果律的判断に固執するため、お金にまつわる思考と判断と行動が非合理的となりやすくなり、結果が悪くなりやすいのです。
優れた投資家は、この世の中の出来事のほとんどが確率論的に発生していることを(恐らく本能的に)知っています。だから彼ら彼女らは「確率的に期待値の高い行動」を取り続けることに全力を尽くします。この結果、彼ら彼女らのお金にまつわる思考と判断と行動の結果は(因果律的思考にこだわる人々より遥かに)良くなりやすいのです。
そして資本主義社会においては両者の差は極めて大きくなりやすい。因果律に固執する大多数の人々と、確率論で思考できる優れた投資家との(長い一生を通じての)経済格差(資産格差)は(両者の生涯年収がたとえ同じであったとしても)最低でも一桁、へたをすると二桁以上開く可能性があると私は思います。
確率論で考えられるという事は、未来の不確実性を受容できるという事でもあります。そして未来の不確実性を受容できることは、投資による資産形成を成功させる上で極めて重要なマインドセットです。
(文: UEDA / 挿絵:αβγ)
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